藝大最前線は、本学が行う取組みを紹介しながら、本学と社会との繋がりや、アートの可能性を伝えていくコンテンツです。 第四回は、本学事務職員を対象とした、人材ビジョン構築のためのワークショップについて。最終日に行われた日比野学長主催のワークショップでは、職員が藝大を飛び出し、さまざまな発見をします。
【はじめに】
近年の急速な社会変化とグローバル化の進展に伴い、大学にも社会経済発展への具体的な貢献が強く求められています。社会から藝大への期待も高まる一方で、国からの予算削減により、大学自らが運営資金を調達する必要性が高まったことや、グローバルな競争環境に対応するために卓越した研究成果や社会サービスを提供することが求められるなど、具体的な課題に直面しています。また、労働人口の減少による人手不足が叫ばれる昨今の日本社会においては、組織としての人材確保が困難であるという現状があります。
そのような背景を踏まえ、藝大では今、改めて人材戦略を経営戦略の中心に据える必要性が認識されています。特に大学運営において、優秀な学生や教員を確保するだけでなく、大学職員がクリエイティブであることが期待されており、高度化し複雑化する大学経営に対応しながら教員と協働し、組織としての知恵や構想力を発揮できる人材が求められています。
これらの複合的な課題を解決するため、藝大では職員を対象にした全3回にわたる段階的なワークショップを開催しました。ワークショップでは、大学の経営戦略に基づく「あるべき姿」と、職員自身が望む「ありたい姿」の両方からアプローチし、職員全員が主体的に人材ビジョンを構築できるような試みを実践しました。
全3回を終えた後は、日比野克彦学長主催のワークショップを行い、藝大周辺の地域を舞台に手を動かしてイメージを膨らませながら、「アートは人のこころをうごかす」という人材ビジョンの視点を体感しました。
本部棟の会議室を会場に開かれた全3回のワークショップ。第一回のワークショップで示された目的は、〈「なりたい姿=ビジョン」を描くこと〉、そして〈ビジョン実現に向けて、コミュニケーションスキルを身につけること〉の2つでした。
まずはじめにおこなったのは「自分のよいところ」を見つけるワークです。会場に並べられたカードを手に取り、そこに描かれたさまざまなイメージを借りながら、「自分が気に入っているところ」「初めて話す私のよいところ」など、自分の長所を複数の角度から再発見し、話してみるというもの。
言語化して相手に伝えるのが難しいと感じる自身の性質も、カードのイメージから着想を得て、少しずつ言葉に置き換えていきます。勤務中には、自分の長所を外部に向けてストレートにアウトプットする機会というのはなかなか訪れないもの。ワークショップ進行中は、参加者の個人情報や心理的な負荷に配慮するためグラウンドルールを設定し、安心?安全な対話の場を作ります。話し手と聞き手のターンを入れ替え、互いの言葉に丁寧でポジティブなフィードバックを重ねていく過程で、自分自身も気づけていなかった隠れた強みを、他の参加者から教わる機会もあったようです。
それから実践したのは、現在地からもう少し先へ時間軸を伸ばして、未来の自分をイメージしてみるワーク。「3年後、どうなっていたら最高にハッピーですか」という問いかけをもとに、カードのイメージを借りて、理想の姿をそれぞれ思い描いてみます。「あなたはどこにいますか?」「どんな気持ちで何と言っていますか」という具体的な質問をグループごとに交わしながら、自分が本当に望むことや価値観の正体を探っていきます。はじめはわずかに緊張した空気の漂う会場でしたが、部局を超えた職員同士が顔を合わせて未来の理想を語り合ううちに、次第に和やかな雰囲気に包まれていきます。
初回となったこのワークショップでは、それぞれの職員が自身の目標や価値観を具体的に把握するためのきっかけがいくつか提供され、個人のビジョンを表す言葉として、「家族」や「ワークライフバランス」、「健康」といった人的資本の基盤となるキーワードが数多く飛び交いました。また、日頃コミュニケーションを取ることの少ない部局間の職員同士で言葉を交わす機会にもなり、組織内での相互理解の必要性が改めて認識された場となりました。
第二回のワークショップでは、第一回の内容を発展させて、〈組織軸と自分軸の共有ゾーンを拡大し、ビジョンを深化させる〉ことを目指しました。
自分の価値観やなりたい姿と組織の目標を照らし合わせることで、組織と自分の両方を満たすことができる共有ゾーンが見つかります。自分のビジョンを明確にし、組織との共有ゾーンを広げていくことで、職員一人ひとりが組織の方向性と自らの役割を統合的に連携できるようになるのだといいます。まずはそんな自分軸の探求として、あるワークをおこないました。
その内容は、参加者同士で2人組を作り、会場の床に掲示された時間軸の進行方向に沿って、タイムマシンのように時間をたどりながら対話をするというもの。入職のきっかけや好きな仕事や嫌いな仕事、過去の人間関係などについて交互に話しながら、自分が大切にしていることの糸口を探っていきます。
「自分はこういうきっかけがあって、今ここで働いている」「あの時あんなことがあって、その時自分はこんな風に感じた」「もしかしたら自分は今の仕事のこの部分にモチベーションを感じているのかもしれない」「仕事をするうえでここは譲れない」
会話を通じて発見した自分の価値観のなかから、特に大切だと思うものを3つ選んで紙に書き出します。
自分の軸となる価値観を発見した後は、組織の価値観への理解を深めながら、改めて藝大という組織のビジョンを振り返ります。重要なのは、組織のビジョンを一方的に捉えようとするのではなく、個人の自分らしさやありたい姿を組織で活かすイメージで考えてみることなのだとか。
続いて、藝大という組織が持つビジョンを、もう少し具体的なアプローチで明らかにするワーク。藝大の中期計画にある5つの人材キーワードをグループに割り振り、そのテーマについて「今できていること」、「これをしたらもっとよくなること」について意見を出し合ってみます。部署や職位の垣根を超えて言葉を交わしていると、組織の課題に対する向き合い方や想いに、共通するものが多くあるということがわかってきます。具体的な言葉にして書き出していくことで、組織全体で共有している大きな課題や個々人の業務における小さな悩みなど、さまざまな声が浮かび上がります。
この回では、最後に「藝大があなたに求めていること」を改めて書き出し、組織の目標と自分の価値観を照らし合わせて共通点を見出すことができました。そして未来の自分が、共有ゾーンをさらに拡大していくためのアクションプランを立てることで、具体的な行動につながる視点を認識する第一歩となったのでした。
一連のワークショップの区切りとなる第三回のゴールは、〈理想のチーム像を描くこと〉。
「組織における理想の人材とは」というテーマで始まった冒頭では、藝大の使命と目標をもう一度読み合わせました。「藝大らしさ」とは一体何なのか、それぞれの参加者が考える人材像をふせんに書き出し、グループ内で共有します。「学び続ける人材」「新たなものを取り入れていくマインドを持つ人材」「プロジェクトのマネジメント力を持つ人材」など、さまざまなキーワードが挙げられ、発表の場では新鮮なイメージが共有されました。
次に、理想のチーム像を描くための準備として、自分の強みと弱みについて直感で話してみるワークをおこないました。用意されたカードのイメージを用いて、自身の特性をグループ内で言語化していきます。ワーク内では、発表者が気づいていない強みを他の参加者が発見し、伝えるような場面も見られ、多様な視点から自己理解を深めていきます。
その後は各自の強みを組み合わせて、互いの弱みを補完し合う最強のチームを構想しました。チームをデザインするうえで大切なのは、自分のポジションに妥協しないこと。これまで分析してきた自己の長所を組織の中でどう役立てるか、実践的な想定で議論する貴重な機会となりました。
構想したチーム案を全体へ向けて発表した後は、明日から職場で取り組んでみたいことを5つほど書き出して、その中から一つを選んでみます。理想とする組織像のイメージを意識しながら、それぞれが具体的な行動計画を立て、個人のプランを組織へ共有することで、より主体的な人材ビジョン構築への意欲が高まる場となったのでした。
これまでのワークを振り返った参加者の中からは、「自分の強みを活かしながら業務に取り組みたいと思いました」という声や、「普段関わりのない職員の人柄を知ることができて良かったです」といった声も寄せられ、組織全体で人材ビジョンを共有していく基盤が、整いつつある様子も感じられました。
そして、上記の3回のワークショップを経て、10月上旬には特別回となる日比野学長主催のワークショップを行いました。会場は藝大上野キャンパスからほど近い、谷中の町中に位置する藝大部屋。
地域との連携の拠点となるべく誕生したこの場所で、職員たちを前に、日比野学長はこんなことを問いかけます。
「芸術にとって、地域づくりやまちづくりが重要なキーワードとして捉えられるなか、藝大にとって上野の地域とは一体何なのでしょうか。上野の地域は一体どこからどこまでなのでしょうか。これからの藝大にとって必要なのは、単に書類上で交わされる地域連携だけでなく、たとえば『おはよう』や『いってらっしゃい』と地元住民の方と声を掛け合うような、より土地そのものに根ざした視点や実践によって育まれていく地域性なのではないでしょうか」
そのような地域との関係性を、よりくっきりと実感できる機会がもっとあったらいい――。日比野学長は続けます。
「例えば皆さんは、普段、藝大という職場へたどり着くまでにどんな道を通ってくるでしょうか。おそらく多くの方は、電車を降りて駅から歩いて来ると思います」
思い返せば、藝大の周辺には上野だけでなく根津や千駄木、日暮里や湯島、鶯谷など、いくつかの駅があります。通勤時に経由する路線の種類によって、それぞれ利用する駅も異なります。どの駅から、どんな道を通って上野へ向かうのか。職員一人ひとりが体感する土地の風景もさまざまです。ありふれた通勤時間にも、豊かな地域性が隠されているのだと、日比野学長は言います。
今回のワークショップでは、そんな身の回りの地域性について、イメージを膨らませながら手を動かしてみます。出されたお題は「人間が普段使っている感覚とは違う視点で、藝大から家に帰るまでの道のりをイメージしてみよう。例えば、自分が犬になった気持ちで歩いたら、どんなふうに感じるか想像してみよう。そして、その道中で記憶している気になる目印を思い出して紙に描いてみよう」というもの。Googleマップのように正確な情報を網羅した地図ではなく、直感や身体性を優先させて、土地に対して自分が抱いている感覚を呼び起こしていくようなワークです。
「まず藝大の門を出て、右へ行く?左へ行く?」日比野学長が問いかけます。参加者は皆それぞれに、藝大から自宅までの道のりを思い浮かべます。歩いた道のりを伸びやかな線で表してみたり、草花やお店や、空や地面の風景を思い出してみたり、印象的な目標を絵に描いて点在させてみたり、手の動かし方も人によってさまざまです。「見える景色が自分の人生になるんです」と日比野学長。
描いたものを各テーブルで発表し合った後、今度は会場の外へ出てみることに。目的は、近所の町を実際に歩いて、オリジナルのマップをつくること。
この日は参加者を4つのグループに分け、それぞれ根津、千駄木、鶯谷、日暮里という4箇所の駅から藝大部屋までの道のりを探索します。条件は、駅から藝大部屋にたどり着くまでに、道中のランドマークを見つけて地図に描き込むこと。それからルートの説明も、「黒い建物のある角を左に曲がる」という論理的な言葉遣いではなく、「空が広がってきたら右へ」という風にポエティックに周辺の土地を捉えてみること。「土地勘がない人や、言葉の通じない人に土地を伝えるようにやってみましょう」と日比野先生。グループごとにそれぞれの地域へ繰り出して、マップづくりがスタートします。
実際に町を歩いてみると、いろいろなものが目に入ります。何気なく通り過ぎてしまいそうな路地の一角や、頭上の景色にも注意が向きます。「あそこに実がなっている樹がある」「この辺りは工事の音がずっと響いている」自分の感覚を頼りに土地の空気を感じながら、立ち止まり、気になったランドマークを見つけて記録していきます。
40分ほどの探索が終わると再び藝大部屋に戻り、集めてきた材料をもとに、大きな紙にオリジナルの地図を描いていきます。地域を歩いて発見したものや感じた印象が紙の上に集積されて、グループごとに独自のマップが出来上がります。
自分たちのグループがどんな風に道をたどって藝大部屋までたどり着いたのか、この日は最後に他のグループへ向けて発表して、ワークショップが終了しました。既成の情報で論理的に地域を捉えるのではなく、感情やイメージを膨らませて自分の周りに目を向けるアプローチを体感したこのワークショップでは、固定観念にとらわれずに個々の能力や創造性を高め、アートの力で社会に大きな貢献を果たすという藝大の人材ビジョンにつながるヒントが隠されているのかもしれません。
「この場所に藝大部屋ができたことにより、これからはここが藝大と地域との繋がりのフィールドになっていくはずです。今後もよかったらぜひ、ここに皆さん出入りしてください」と日比野学長。自らの足を使って、五感に従い、藝大にとっての地域を実感すること。藝大に出入りする学生や教員のみならず、職員がそれぞれにクリエイティブであり続けること。今回のワークショップで共有された地域に向き合うアートな視点が、これまでのワークショップで培われてきた人材ビジョン作成のプロセスと結びつくことで、より一層藝大らしい組織の歩みを支える土台となることが期待されます。
【東京藝術大学 職員人材ビジョン】 アートは人のこころを動かす。 1. 学長(経営陣、マネジメント層を含む)のリーダーシップの下、学内外の専門的知見を有する者が法人経営?業務運営の改善および効率化に積極的に参画し、持続的な成長を推進することを目指す。 |
構成?文?撮影(一部を除く):野本修平 協力:合同会社チームシナジー