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八角親方をゲストに迎え、第13回奏楽堂トーク&コンサート「学長と語ろう こんさ-と」を開催(トーク内容を掲載しました)

2013年06月28日 | イベント, 全て

 6月22日(土)、本学奏楽堂にて、第13回奏楽堂トーク&コンサート「学長と語ろう こんさーと」を開催しました。

第13回奏楽堂トーク&コンサート「学長と語ろう こんさ-と」

 

宮田亮平学長(左)と八角親方(右)

 各界でご活躍されているゲストをお迎えし、「芸術の力を世界に発信しよう!」という趣旨で始まったコンサートも13回目となり、今回は、八角親方(元横綱?北勝海)をゲストに迎え、「伝統をまもる!」をテーマにトークが繰り広げられました。これは宮田学長が横綱審議委員会の委員を務めている縁により実現したもので、舞台上のスクリーンでは、八角親方の現役時代の映像も紹介され、横綱昇進決定の瞬間の映像が流れると、客席から拍手が沸き起こりました。

コンサートの様子

 第二部のコンサートでは、東京藝術大学シンフォニーオーケストラによる、ベートーヴェン《交響曲第5番》「運命」(指揮:澤和樹教授)、松下功 交響詩《相撲甚句》(指揮:松下功教授)が演奏されました。交響詩《相撲甚句》では、勢関、鶴乃湖、安芸乃川の3力士が登場し、見事な美声を披露しました。

 今回は、人気力士の勢関が東京藝術大学のオーケストラと共演することもあって、多数の新聞社が取材に訪れ、注目を浴びたコンサートとなりました。

宮田学長の作品
勢関
演奏後の様子
八角親方へ誕生日プレゼントを贈呈
第13回奏楽堂トーク&コンサート「学長と語ろう こんさ-と」

トーク〈テーマ:伝統をまもる!〉

宮田亮平学長(以降、学長) 数日前までは今日は台風が来るんじゃないかと思って心配していたんですけど、むしろさわやかな6月のいい風が上野の山に吹きました。それもこれも今日おいでいただいた皆さんとともに日本の素晴らしさを伝える、その伝統ある文化芸術、相撲の八角親方をお呼びして、日本って素敵だな、日本人の持つ精神的なものまで含めて素敵だな、ということを再確認したいという企画でございます。半年前にムッシュ坂井をお呼びして、料理の素敵さを皆様と一緒に楽しみました。今日は相撲で人間の体力の限界、精神力の限界まで尽くすというのはなんて美しいんだろうということを感じる1時間にしようかと。そして、休憩の後には親方と一緒にとても面白い企画、本邦初公開、ということは世界初公開ということなんですが、相撲甚句とオーケストラのコラボレーションです。私も実は楽しみなんですね。リハーサルもあえて来ませんでした。皆さんと一緒に最初に見る、最初に感動する。そして、あれはよかったねということを伝える伝道者に皆さんになっていただきたい。ただ来て、遊んで、よかったな、みたいに帰るのではなく。また、相撲の素晴らしさを感じて、それぞれの場所にチケットをお買い求めになってご入場いただくと、相撲協会もとてもいいのかなというように考えます。さあ、これから八角親方、元北勝海、もっと前だと保志と言いますね、素晴らしい親方をご紹介したいと思います。今日は私の銅鑼で。御登場願います。どうぞ、親方!!

(八角親方の登場)

学長 どうですか、親方。藝大においでいただいての第一印象は。

八角親方(以降、親方) 広いなと思ったのが第一印象ですね。なかなかこちらのほうには来る機会がないので。動物園は何回か来たことがあるんですけど。

学長 そうですか、今日はもうひとつ、藝大の面白さをともに感じていただけたらと思っております。
(学長の揮毫した書の前で)これは今年の卒業式に書いた字なんです。卒業式の時にあまり能書きを垂れないで、皆の前でこういう字を書いて学生をお送りするんですが、これは古い字体で書いた「煇」(かがやき)という字です。今は「光」なんですが、昔は「火」と「軍」だったんですね。これはこじつけじゃないですけど、まさしく八角親方の「かがやき」のために今日書いたと言っても間違いではないですよね。

親方 ありがとうございます。

学長 私は学長もやってるんですが、ものをつくるのもやっておりまして(作品の前で)これは昨年の日本芸術院賞を頂戴した時の作品なんですけれども、波がこうパッと立っていて、というものですが、いかがでしょうか。

親方 先生の作品はイルカが多くて、佐渡から来た時に見たということですよね。

学長 よくご存じですね。相撲取りにしておくにはもったいないな。(別の作品を指し)あれもそうなんです。実は昨年の夏にバハマに行ったんですが、海中深く潜り、イルカたちと泳いだ時に、お母さんと子どもの愛を感じるシーンを見て、つくらせていただいたんです。

親方 私が言うのも何ですけれども、素晴らしいです。

学長 (別の作品を指し)そしてこれは、私が横綱審議委員を仰せつかっているんですが、その時にたしか白鵬が63連勝。

親方 その時に横綱審議委員の先生方に贈っていただいたんですね。

学長 それの原型になったものなんですけど、ここに63という字を書いて、初日でしたね。3年前にこう贈らせていただいたんですね。

親方 はい。白鵬も非常に喜んでいたんですね。私も欲しかったですけれども、63には届かなかったですね。

学長 今日、これからの1時間、親方の人となり、素晴らしい相撲人生を皆さんとともに知りたいなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

親方 よろしくお願いします。

学長 まず、先ほど、「保志」という言葉を使わせていただいたんですが、北海道の十勝ご出身?

親方 広尾郡広尾町というところですね。中学3年生の4月に出てきました。私は子どもころ、小学校の卒業文集に「将来はお相撲さんになる」と。お相撲さんになって、芝生のついた家を建てたい。それが私の夢でした。そのためには並大抵なことではできませんが、ちゃんとかぎ括弧をして、「僕はやります」と。

親方 本当に努力して、やれば夢は叶うんだなと。ただ、もう1つ、叶っていないのが芝生。人工芝なんですけど、まだ本当の芝生じゃないので。(笑)

学長 そう言えば、親方の今までの経歴の中で、ご自身はとても努力家であるのは当然なんですが、謙虚に「自分はせめて十両になればいい」というようなことを書かれていた。

親方 最初は当然、強くなって、お相撲さんになればたくさん稼げるという。うちは北海道で漁師をやっていますから、とにかく親の背中を見て育ったんですね。お金を稼ぐのがいかに大変か。ですから、子ども心に体が大きいから、「お相撲さんになって稼いでやろう」という気持ちで来て。中学生で来たものですから、1年間、部屋から中学校へ通っていたんですけれども、その中で稽古を見て、「これはすぐ上になんか、とてもじゃないけど行けない」と。ただ、関取には何年かかってもいいから上がりたいと思いましたね。

学長 つまり、変な高望みをすることではなくて、自分の中で着実に階段を上がって行きたいと。素晴らしいですね。ちょっと今の若いやつらに聞かせにゃいかん。

親方 うちの部屋にも29人、弟子がいるんですけど、毎日言っても、なかなか聞いてもらえない。

学長 今、部屋の話をしましたけど、なかなか今、優秀な若い人が集まるというのは大変ですが、親方の部屋は大変活気に満ちた素晴らしい若者たちがいっぱい。謙虚に言っていましたけれども、素晴らしい稽古をなさっている空気を感じたんですけれども、どうですか。

親方 まあ、やらせていますけれども、自分でやらなければだめですね。やろうと思って、力士一人一人が、ですね。ですから、その辺がはがゆいですね。

学長 稽古を厳しくやった者が、それが普通になってくるぐらいまでやらないと稽古じゃないみたいなことをおっしゃられたことがありますね。

親方 そうです。毎日毎日、きついと思っても、続けて行くと、それが普通になってくるんですね。続けることでどんどん、自然と力がついてくるんですよね。ですから、毎日の積み重ねですね。これはよく昔から言われていることなんですけれどもね。本当に積み重ねというか、努力することですよね。

学長 そういえば、親方はそんなに大きいわけではないですね。181センチ、ベストで151キロで。

親方 でも、その151キロになった時、引退前でもう稽古がけがでできなかったころですね。

学長 親方の素晴らしい輝きと同時に、けがとの戦いも大変でしたよね。

親方 初めて休場したのが横綱時代ですけれども、腰を痛めて、半年休場しました。本当にそのころのリハビリというのは相当きつかったですね。同じことの繰り返しというのが、稽古よりもきついですね。1日、リハビリ8時間しましたね。

学長 リハビリなんですか?稽古じゃないですか、それじゃ。

親方 リハビリです。リハビリをしてから、ようやく稽古できる体をつくることなんですね。私の場合は、まず、東京でけがをして千秋楽を休場して。不忍池の前に病院があってそこに入院していたんです。

学長 何か縁があるんですね。

親方 こっちのほう、近いんですね、結構。歩けないで、横断歩道を青になってから渡っても、ようやく着くぐらいで、そのぐらいの体勢だったですね。

学長 そんなにつらかったんですか。

親方 これはもう非常に大変でした。試行錯誤と言いますか、鍼へ行ったり、マッサージしたり、色々なことをしたんですけれども、全然治らないんですね。後から気づいたんですけれども、やっぱり1カ月ぐらい寝ていましたから、筋力がなくなっているんですね。だから、筋力を持たすためのリハビリですね。裸でマイナス190度の中に入る、冷凍治療というんですけれども。

学長 死んじゃいますよね。

親方 一応まだ生きているので、大丈夫だと思いますけれども。マイナス190度の中に30秒ぐらい入って、出てきてのリハビリなんですよ。階段上がりを2時間やったり、腹筋、背筋、1日合わせて1000回ずつ。毎日、そういう同じことを繰り返し、繰り返しやるんですね。それが面白くないですね、同じことの繰り返しっていうのは。

学長 業のようなものですね。修行僧とか。

親方 それで、良くなったかなと思ったら、また動けなくなったり、その繰り返し。精神的にも相当つらかったですね。昭和63年だったと思いますけれども、私が休場して半年、ちょうど千代の富士さんが、白鵬じゃないですけれども、その時期に53連勝しているんですね。こっちはリハビリでプールの中にいて、片や片方の横綱は53連勝して、最後は相撲を見るのが苦しくなってきましたね。そして、また、いつも千秋楽になると、NHKのアナウンサーが「横綱北勝海は今現在、こうやって、ここで治療をしています」とか、最初の場所は言ってくれたんですね。最後の場所になったら一言も言わなかった。忘れられたかなと、本当につらかったですね。

学長 でも、千代の富士関が完全復帰とは言わないまでも、相撲が取れるようになってきた時に、親方のことを「休場する前よりも胸が厚くなってきたじゃないか」と言ってくれたということを僕はちょっと記憶しているんですが、そのぐらい頑張ったということなんですか。

親方 やりましたね。とにかく1日8時間ですから、相撲の稽古はできませんでしたけれども、私以上、力士の中でやっている人はいないなと思っています。それは自信がありましたね。体を動かすことに関しては、ほかの力士よりも断トツで私がやっていると。ただ、相撲の場合は、相撲感がありますから、その辺で勝つ、負けるというのは不安でしたけれどもね。

学長 すごいですね。やっぱり、そういう精神的、体力的、そして、技という部分、3つがそろわないとだめだということですね。その3つで思い出しましたけど、「花のサンパチトリオ」でございましたね。小錦関だとか、寺尾関。

親方 寺尾ですね。あと、錣山、北尾ですね。双羽黒とか。

学長 懐かしい。同期生ですね。皆、個性がありましたね。

親方 皆、強かったですよ。小錦が上がってきた時なんかは、おっかなかったですもの。あまり力士を相手におっかないとか、怖いとか思ったことないんですけれども、小錦だけはこれは気合を入れていかなきゃ壊されるなという感じでしたね。あのでっかい目でこう仕切るわけですね。仕切る時、でっかい目が血走っているわけですよね。強かったです、本当に、小錦は。

学長 この後、非常にコンパクトにした親方の歴史の映像があるんですが、小錦関との勝負もありますので、もうやっちゃいましょうかね。それでは、これからちょっと5分間、映像をごらんになっていただきたいと思いますので、よろしゅうございますか。


(八角親方の現役時代の紹介映像)
 八角親方の初土俵から引退までの軌跡を映像でたどります。
 映像では、十両、幕内、そして小結と順調に昇進する姿、猛稽古に励み、22歳で初優勝を飾った取組、横綱昇進後も腰痛を悪化させますが、壮絶なリハビリの末に4場所ぶりに復活優勝を飾る場面などが映し出されます。


学長 (感動のあまり、目頭を押さえる)

親方 本当に相撲取りをやっていて良かったと思いますよね。優勝した時とかは、自分が帯広空港から当時、プロペラ機で来るわけですけれども、その時に母さんがいたんですけれども、顔を見られなかったですよね。自分が相撲取りになりたい、どうしてもなりたいということで、説得したわけじゃないですけれども、入った時に、とにかく空港で「母さん、おれは頑張るからな」と14歳で別れたわけで。それを実現できたという意味じゃ、やっぱり嬉しかったですよ。その後、うちの母さんも1カ月や2カ月、ふさぎ込んだらしいですね。当時、相撲部屋に入ったら稽古がきついんじゃないか、食べるものもないんじゃないかと、色々なことを。田舎ですからね。実際にはちゃんと食べる物はあるんですよ。美味しいものからなくなっていくんですけどね。 食べ物は実際あるんです。今なんか余っているぐらいですから。

学長 先ほどからのお話の中にもありましたけど、小錦関はやっぱりでかいし、おっかないね。 

親方 おっかないですね、やっぱり。今見ても、おっかないです。普段話すと優しいんですよね。やはりその優しさで横綱に上がれなかったと思うんですよね、小錦は。ですから、横綱に上がる人っていうのは、どこか変わっているんです。頑固だったり、人の言うことを聞かなかったり、ちょっと変わり者が多い。私が一番まともだと思っています。 

学長 途中で何を言いたいのかな、落ちはどこかなと思っていたんですけど、そこへ来たか。それはよくわかります。ちょうど初優勝の時、垂れ幕に保志関と書いてありましたね。あれで思い出しましたが、北勝海という四股名に変える時の逸話がございますよね。

親方 大関に上がる時に変わったんですけれども、何日間で変わらなきゃならないと。保志と言うのは私の本名ですので愛着はあったんですけど、四股名はすごく欲しかったんですね。ですから、親方とか色々、その当時は後援者からも北の富士という話があったんですけれども、大関に上がる私ですから、とてもとても横綱の名前なんていうのはというのもあったものですからね。最初は「十勝海」って付けたかったんです。十勝出身で、うちは漁師をやっていますから、海は付けたかったんですね。そうすると、親方が「十勝って、10勝だ」と。大関で10勝は良くない。当時、初優勝したり、大関に上がる時に一応人気がちょっとあったんですね。サインも多かったんですよね、色紙のサインがですね。ですから、とにかくできるだけ画数が少ないやつがいいかなっていう。「北」に十勝の「十」で、「北十海」とも言ったんですよ。そうしたら、また「十が入るからだめだ」と。十勝の「勝」を「と」と読んでもらって、「北勝海」となったんですね、あの時に。

学長 なかなか「勝」を「と」と読ませるには色々最初のころなんてね。

親方 最初はそれもだめだっていうぐらいな話だったんですね、「読めないだろう」と。その時私も若かったものですから、ちょっと生意気だったんで、「北勝海」と書いて、「ほくとうみ」と。「これが小学生でもわかるぐらい、私は頑張ります、強くなります」と親方を説得したんですね。横綱に上がってよかったですよ。

学長 結局、さっき、横綱に上がるやつは変だというのと同じですね。 

親方 やっぱりちょっと変ですよ。(笑) 

学長 でも、面白いものですね。今ではどなたも「勝」というのを「と」と読むことに関して、ほかの四股名でも、皆さん、全然普通に定着しましたね。

親方 お陰様で、弟子も頑張ってくれたのでね。引退しましたけれども、北勝力といったのがいますので。

学長 とてもいい力士でした。

親方 ですから、たまに「昔の北勝力さんですね」と言われて。でも、嬉しいですよ、弟子に間違われるっていうのは。

学長 ちょっと複雑ですけどね。でも、嬉しいですよね。自分の手塩にかけた弟子のお名前を言われるっていうのは。私も藝大というところにいますので、教え子たちが成長して芸術家となるのを見たりするのが嬉しいのと同じようなものがあるんでしょうね。それと、ずっと今日お話の中にあるのは、稽古熱心であるということで、若いころに、普通だったら必ずちゃんこを当番としてやるのは当たり前なんですが、あまりにも稽古熱心のためにあえて稽古をさせるためにちゃんこ番までもやらなくていいから稽古をしろというふうなことをおっしゃっていたんだけれども、兄弟子がちゃんこを作れと言ったら、千代の富士関がやらんでも良いと言ってくれたという話もちらっと聞いたのですが。

親方 ちゃんこを作れる人はいっぱいいるから、とにかく稽古場へ行っておけというふうに言われましたね。

学長 それも、若いころとしては珍しいお話なんじゃないでしょうかね。

親方 とにかく目立っていたんでしょうね。私はよく言われるんですけれども、稽古はそんなに好きじゃないんですよ、はっきり言って。苦しいこと、人間だれでもそうなんだけど、やらないと勝てないから、やるんです。やらないで勝つのが一番理想的なんですけど。 やらないと勝てないわけですから。体もないし、とにかく動いて動いての相撲ですから、やはり稽古を1日でも欠かすと、動きが悪くなるんですね。

学長 私も3日仕事をしないと、どうも的を外しますね。

親方 多分、同じ感性だと思いますけれども、その辺は。体が勝手に動いてくれないことには。美術の話はちょっとわからないですけれども。 

学長 身体を動かすこととか、ものをつくることとかも全ては人間の体と心ですから、共通しているんじゃないかなという気がしますね。

親方 そうですね。今の優勝決定戦とかですね、最後の最後の一番になってくると、後は体に祈るしかないんですね。土俵に上がる時に、とにかく体をこう叩きながら、「頼むぞ、動いてくれよ」と。頭で「さあ押すぞ」とか、考えてからやったのでは遅いわけですから、体に祈ります。お願いするんです、「頑張れよ」と。

学長 もしかして、仕切りで塩をこうする前にこうやるのは、あれも語りかけている。

親方 そうですね。私の場合ですけど、とにかく体が動くしかないわけで、「頑張れ」って、体に、ですね。体を、常に背中を押されたら相撲の形になるような。だから、緊張して優勝の争いをしている時なんかは、夜、いきなり脇が締まったりですね。初優勝の時なんかは寝られなかったですね、優勝決定戦の前の日とか。

学長 寝られないっていうことはよく聞くんですが、それは興奮して寝られないんですか。

親方 色々なことを考えるんですね。初優勝の時なんか、優勝した時に田舎でこうやってくれたりするじゃないですか。優勝した場合、いつ帰れるかなとか、パレードはいつするんだろうとか、色々なことを考えちゃうんですよ。考えなくてもいいのに、優勝してから考えろよという話なんですけど。相手が右から入ってくるか、左から入ってくるか、手をどっちから突いてくるか、そんなところから始まって、明日考えようと思ってもついつい。稽古をして自信がある時はあまり考えなくてもいいですよね。どうせこう来るだろうと。関脇から大関に上がるころには、真っ直ぐ当たってきたら、絶対負けないだろうと。立会いで変化されたら、負けても仕方ないだろうけど、そういう形だったら自信がありましたね。大きい相手も、小錦が相手でも。小錦は変わることがないですけれども。だから、気持ちよかったですよ、そういう意味では。当時、小錦とか、強いのがいっぱいいましたけれども、とにかく来るなら来いということで。立会いで作戦的に呼吸をずらしたり、そういうことはあまりないですから。気分よく相撲を取っていた記憶がありますね。同じ歳の力士たちが大勢いたので。ですから、今、相撲の中継を見ていて、大きい力士が立会い変化で勝ったりすると、何を考えているんだと。若手でも変化で、小さい人とかそれはまだわかるんですよ。ただ、いい体をしているのに、楽に勝とうとする。これは非常に腹立って仕方がない。努力して努力して、いい相撲を見せるのが力士であって、勝ち負けだけじゃないんですね。せっかく相撲を見に来ている人たちに「相撲」を見せる。勝負を見せるんじゃない。だから、そういう気持ちで幕の内力士はやってほしいですよね。

学長 それは私も横綱審議委員の1人としては言ってみたいですね。

親方 どうぞ言ってください。 

学長 後ろの画像はとてもすてきな横綱の時の画像ですが、この太鼓腹。「今の」っていう言葉を言うと大変申し訳ないんですが、今の力士はしっかりしているんじゃなくて、でかいけど、ダバダバしているっていう感じの連中がちょっと多いですよね。まさしく双葉山関を彷彿させるような素晴らしい体をしていますね。これは稽古でしか出来上がらない形ですよね。

親方 双葉山関と比べられるともう本当に身の締まる思いですけれども、やっていましたからね、稽古を。

学長 この化粧まわし、面白いですね、これ。

親方 これは千代の富士さんの化粧まわしですね。太刀持ちか露払いをやっていたころのですね。私にはあまり似合っていない。

学長  今日はブルーのネクタイで、それから、親方はどちらと言うと、締め込みはエメラルドグリーンがとてもお好きだったようですね。

親方 私が好きと言うよりも、贈られるものですからね。一番最初は親方、今現在、NHK解説している北の富士親方が選んでくれたんで。

学長 いや、でも、好きって言ってくださいよ。

親方 好きです。

学長 それを言わせるのに、今日はちゃんと僕も。(エメラルドグリーンのネクタイを見せる)

親方 どうも気づきませんで、すいませんでした。 

学長 僕、ネクタイで青って言ったあたりで気づいてくれるかなと思っていたんですけど。 

親方 イルカですよね。

学長 そうです。ありがとうございます。とても嬉しゅうございます。先ほどの中で、巴戦がございましたね。あの辺のお話もちょっとお聞きしたいなと思います。

親方 あの時は私が横綱だったんですね。大関、小錦で、関脇、霧島なんです。ですから、私が勝たないといけないという頭ばっかりだったですね。「面目が立たない」と。そして、「また、二番取らなきゃならない」という気持ちが強かったですね。二番勝たなきゃ優勝できませんから。最初、一番、負けたんですね、小錦に。で下に下りて、「これは優勝が決まっちゃうんだな、小錦に」と思ったら、霧島が勝ったんですね。ですから、「ああ、まだチャンスがあるな」という、何か不思議な感じだったですね、1回負けているのに。でも、また負けちゃ、横綱が二連敗するわけですから、そういうプレッシャーがありましたね。あとはとにかく最後、休まないことなんですね、大きい相手には。とにかく動くんだと。

学長 あの辺の粘りの相撲っていうのはちょっと最近の相撲では見ないですね。まあ、そんなこと言っちゃいけないか。

親方 大きい力士っていうのは止まったら重たいですから、とにかく動くんですよ。動くためには、当然、動かせる身体能力が要る。それがさっきやっていたぶつかり稽古なんですね。あれをやっていると、どんどん、どんどん動けるんですね。

学長 あのぶつかり稽古っていうの、稽古総見だとか、部屋へお邪魔したりした時のあの凄まじさ、すごいですね。千代の富士関と、当時まだ保志関という言われ方かもしれませんが、こうドーンと来て、おらおら、おらおらって声をかけながらやるじゃないですか。あの気合もいいですね。

親方 やはり胸を出してくれている人が気合を入れないと、ぶつかるほうもなかなか気合が入りませんので。私は部屋で若い衆の稽古を見ている時に、胸を出してくれてありがたいと思ってぶつかれと。胸を出してくれているんだよと。出されているんじゃなくて、嫌々ぶつかるんじゃなくて、ありがたいと思ってぶつかれと。自分が強くなるためなんですから。そういうふうに指導をしていますけれどもね。

学長 あの時に土に砂にこうまみれるじゃないですか。あれがまた大変なんだろうなと思うね。

親方 大変ですね。まあ、毎日のことですから。上がってきたころには、稽古を終わって食事してから昼寝するんですけども、昼と夜がわからないぐらいぐっすり寝ますね。昼寝から起きた時には朝かなと思ったぐらいぐっすり寝ていました、疲れて。

学長 これもいいですね。締め込みが緑でございまして。実は私も緑が大好きなものですから。これはどういう時のですか。

親方 これは恐らく手首に包帯を巻いていないので、花相撲という引退相撲とかの写真だと思います。大分日焼けしていますから、多分、ハワイ帰りか何かで。

学長 後ろにもっと日焼けした力士がいますね。 

親方 小錦です。慰安旅行で行ったりしましたからね。

学長 ああいうふうに海外へ行かれますと、海外の人たちは皆さん、どういうふうにご覧になりますか。

親方 このころは小錦とかがいたので、ハワイなんかに行くと相撲を非常に理解してくれていると言いますか、声をかけられたことがありますね。今は国技館に来てくれるお客さんも外国の人が非常に多いですね。そういう点からしても、やっぱり外国人から見ても、日本のただ単なるスポーツではなくて、伝統文化と言いますか、そういうことに見えるんでしょうね。今の時代、ちょんまげをしているのはもう力士だけですから。本当に伝統を守りつつ、新しく受け入れて、伝統を守るというのは大変ですね。

学長 大変です、よくわかります。私どももそういう意味では、特に藝大では伝統をきちんと守っていきながら、現代に即した未来を感じさせるような教育というのがありますからね。ハワイの話もありましたけれども、今度もまた海外で?

親方 はい、ジャカルタでやります。8月の末です。

学長 ジャカルタ、良いですよ。食事も美味しいですし、民族芸能などもとても良いものがいっぱいありますからね。

親方 そういう海外に相撲を紹介する機会があって、それこそ日本を代表して行こうと思っています。今までにも国交のない中国とか、ロシア、当時ソビエトぐらいから行って、私はブラジルも行きましたね。パリ、ブラジル、ロンドンですね。

学長 ドイツも行かれましたよね。

親方 行きましたね、スペイン、ドイツですね。

学長 あのドイツの時は何かちょうど事故があって、化粧まわしなんかが紛失、焼けたりしたんですね。

親方 フランスかな。

学長 フランスでしたっけ。急遽また日本から取り寄せてね。

親方 スペインとドイツの時は私は横綱として最後だったんですね。引退したばっかりで、一緒についてきましたね。引退の時は私一人になっちゃったんですね、横綱が。それで海外公演があるし、自分ではもうそろそろかなと思っていたんですけれども、一人横綱で、次の横綱が出てくるまでもうボロボロになっても続けなきゃならないのかなと。私は横綱になった時に、だめだったらすぐ辞めようという、強い時のまま辞めたいという理想があったんですね。一人になった時に、巡業へ行くとか本場所とか、せっかく来てくれたお客さんが土俵入りがないと、土俵入りを見せられないという、そういう思いもあって、複雑だったですね。ただ、横綱は勝たなきゃならないものですから。そして、無様な格好を見せられない。その当時、若貴、曙、強いのが上がってきているわけですよね。小錦とか同期生、寺尾とか双羽黒、あの辺とやっていた時には「このやろう」と思って土俵に上がれたんですけれども。貴乃花、若乃花とか曙になってくると、若いのに頑張っているなと、自分はこう燃えられなくなってきたんですね。変に大人になってきてですね。あとはこれがいるからいいかな、みたいな。

学長 でも、ちょっとそう感じる、若貴の勢いっていうのもありましたよね。

親方 そうですね。本当に引退の時は苦しかったですね。自分は横綱として土俵入りを国技館に来た人たちに見せなきゃいけないという思いと、勝てない自分の歯がゆさとがありましたね。

学長 私の印象の中で大変思い出深いのは、花の大横綱から引退になった引退相撲の時に、例の花のサンパチの寺尾関が務めてくれましたよね。

親方 その時は初めてだったんですね、引退した力士が相撲を取るなんていうのは。それは理由がありまして、結局は最後の場所になったんですけれども、3月場所、3日目が寺尾だったんですね。二連敗していまして、明日負けたら引退だと。場所前から私は今場所だめだったら引退すると言っていたんですね。2日目の夜に親方から電話がありまして、「明日、休場だ」と。「いや、明日、取りたいんですけど」、「いや、休場だ」と。「わかりました」で、休場会見を当然しますよね。すると、場所前よりだめだったら引退だと言っていますから、報道陣の人はもう引退会見だと思って来ているわけですね。そこで私が「もう一度死ぬ気になって頑張ります」と。これは自分の本心じゃないんですね。私はもう終わったと思っています。でも、私が協会運営上と言ったらおかしいんですけれども、横綱として巡業に出なければならない。海外公演もある。ですから、非常に苦しかったですね、自分の気持ちにもうそをついているわけですから。親方から引退じゃなくて、休場だと言われていますので。その日、電話で「おまえ、引退したか?」と。「いや、当然、親方にしゃべる前から引退なんて言いません」と。次の5月場所前に編成会議が金曜日、2日前に、「休場しろ。この稽古じゃ無理だ」と。気持ちがついていけないんですね。「いや、今場所5日目までだったら、やる自信があります。あとはやってみなきゃわかりません」と親方に対して答えたんですね。「じゃ、引退だ」と当時の師匠、北の富士親方に言われたんですけれども。それだったらその前の場所で引退させてくれよみたいな話だったんですけれども。 その時には当時、師匠ですから、当然そんな話も言えずに、十数年がたって飲んだ時に「あの時、何で引退させてくれなかったんですか」と。あの時には言えなかったですけど、「そうなんだ。おれが悪いの?」と言われた。「いや、悪くないんですけど」と。その当時は本当に苦しかったですね、引退の時はですね。他に横綱が、もう若貴や曙とかが上がっていれば、すぐ辞められたんですけれども。本当につらかったですね。

学長 当時、また割に早くして横綱を引退する方が何人かいらっしゃいましたからね。

親方 私も28歳、29歳になる前でした。でも、私としてはもう5年間、横綱をしましたので、もうやることはやったという気持ちがあったものですからね。

学長 十分です、もうとても。

学長 さっきのビデオの中にもありましたじゃないですか。あの稽古で自分はここまで来たと。稽古ができなかったら自分は、とね。あのシーンは何回見ても涙が出るんですけど、親方も泣いていましたね。

親方 本当にグーッと来るものがありましたね。稽古もできなくなってきて、気力がなくなってきているんですよね。一番最初のリハビリで冷凍治療に行った時には、例えば、腹筋を100回やってくださいとトレーナーが言ったら、平気で200回できたんですね。次の入院の時には、100回やってきてくださいと言ったら、100回しかできないんです。次の入院の時には、100回してくださいと言ったら、70回しかできないんですね。その気力がないんですね、もう気持ちがグッと来るものがですね。ですから、だんだん、だんだん衰えていくと言いますかね。稽古をしてもやっぱり昔だったら何十番もできたのが、何番かしかできなくなったりもする。そうすると、やらないからけがも多くなってくるんですね。

学長 そうしてみると、僕もふと、昔、若いころを思い出しますけどね。藝大に入るには、2000枚は最低デッサンを書かないとね。2000枚ですけど、大体このぐらいの高さになるんですよね。あの言っておきますけど、こう(立てて重ねるしぐさ)じゃないんですよ。こう(平らに重ねるしぐさ)ですからね。書きましたけど。2000枚書くためにじゃなくて、要するに藝大に入りたかったから。親方が関取になりたかった、十両になりたかった、頑張って大関、横綱にという気持ちと似たようなものがあって、若い時というか、人生の中でちゃんと勝負したいという時には邁進していくということがすごく大事なことですよね。

親方 これは相撲だけじゃなくて、若い時、やる時に、勝負する時にやる、頑張る時に頑張る。絶対、どんな人生でもあると思うんですよね。仕事でも何でもですね。学生の時でも、ですね。今やらなくて、いつやるんだという。

学長 どっかで聞いたな、その話。 

親方 それは前から言っていますから。

学長 そう?何だ、親方のほうが先だ、みたいな。 

親方 取られたんだ。いや、本当に若いころ、言っていましたよ。今やらなくて、どうするんだって。

学長 今でしょっていうやつですな。それで思い出しましたが、たしかメディアでの話ですけれども、やはり私、とても好きなのは、皆さんもご存じのように、サンデー……。

親方 サンデースポーツですね。

学長 解説を親方にしていただいて。結構、今日は始まる前に大変申しわけないけど、親方に注文をつけたんです。話し込んでくると燃えてくるものだから、早口になっちゃうんだよという。「あまり早口だと、ここの会場は非常に音響がいいためにあまりうまく聞こえないので、ゆっくりしゃべってくださいね」とお話ししたんですが、しゃべるよりも、ほら、親方、実践ですぐ、こうやるんだ、こうなるっていうような話、テレビでやってくださったじゃないですか。あれがとてもよかったですね。

親方 そうですね。アナウンサーの人にまわしをつけさせてやっていましたね。実際にまわしの切り方とかは口でなかなか解説できないものですからね。サンデースポーツの時も、NHKというのはリハーサルが長いものですからね。リハーサルでいいことを言っちゃうと、本番で詰まっちゃうんですよ、私。ですから、リハーサルはいい加減にして、本番で普通に。NHKって長いんですよ。8時ごろから行くわけですから。

学長 ああ、そんなに早くから行くんですか。

親方 10時ごろから出るのに。リハーサルが長くて。

学長 そうそうそう。本番勝負ですもんね。

親方 同じことを言おうとすると、絶対詰まるんですよね。もっといいように言ってやろうという。

学長 そうすると何言っているか、わからなくなっちゃったりする。そうすると、あれは親方からのアイデアでまわしをつけて、切り方がどうのこうのっていうようなことをパッと言う?

親方 いや、あれはディレクターです。そのあたりは野球解説の与田さんがキャスターだったんですけれども、さすがに与田さんにはやらせませんでした。

学長 実は私も実際、それを再現しようかと思ったんですけど、まだこの後、個展も控えているものですからね、これで骨でも折ったら大変だと思ったものですから。親方にここで放り投げられたらどうしようと思ったりしたんですけれども、それはやめました。さあ、だんだんあっと言う間に終了時刻が近くなってまいりましたけれども、親方、今また相撲が非常に盛り上がってきました。一時期、大変不幸なこともございましたけれども、私も横綱審議委員の一人として、日本の国技として、本当に大きく皆さんの多くのファンのもとでいっぱい育ていってもらいたいと思うんですが、親方から、そして、親方は広報部長もなされていて、非常に色々なアイデアを出されておりますよね。私もまだこれから色々お手伝いさせていただきたいと思うんですが、相撲協会はこの後、どんなふうになっていったら面白くなるのかなというようなことを一言いただけたら幸いなんですけれども。

親方 私が思うのには、やはり相撲というのは、日本人の心の中にと言いますか、野球でも何でもよく言われることなんですけれども、お客様あってのと言いますか、先ほどもちらっと話をしましたけれども、とにかくいい相撲を見せるということが大事。そして、また、国技館の中に一歩を踏み込んだら、ここは江戸時代かというぐらいの、そういう形で相撲をお見せしたいですよね。そして、魅力のある相撲と言いますか、本当に楽しめる相撲を目指していきたいと言いますか、もっと身近にですね。昔は巡業に行ったりなんかすると、普通の家に私たちが泊まったりするんです。相撲もファンの方と密接だったんですね。ですから、そういう意味ではもっと昔に戻って密接に、そして、相撲、力士をわかってくれと言いますか、そういうような協会にしていきたいですね。本当に普通の家に泊まるわけですから。初めて会った人ですよ。そうすると、大体、仏壇の前に寝かされるんですね、一番いい部屋へ。布団は大体新しい布団になっています。

学長 特注の大きい布団だったりするんですね。そこのうちの方も誇りだったですね。

親方 そう言ってくれるとありがたいですけれども。本当に気軽に国技館で相撲をやっているから見に行こうとか、そういうふうになってくれたら幸いですね。先場所なんかでも全勝同士の白鵬、稀勢の里の時のあの一番、協会のあの国技館の雰囲気と言いますか、そういうのをお客さんに味わってほしいですね。

学長 あの14日目ですか。よかったですね。久し振りに震えましたね。

親方 優勝を争う一番というのは本当に私が取っていても、緊張感を超えて、先ほど言ったように、動いてくれというように体にお願いするしかないんですね、本当に。それが普段の稽古なんですね。

学長 稀勢の里はあの時はもうほんの瞬間で負けましたけれども、負けた姿も綺麗でしたね。

親方 本当に力を出し尽くした姿ですね。こういう相撲を取ってくれたら、もっともっとお客さんは来るんじゃないかなと思いますね。

学長 まさしく相撲が美学であるということと、将来に対してお客様とともに。

親方 本当に色々なしきたりと言いますか、ありますので、土俵に女性は上がれないとか、そういう意味でも皆さんで伝統を守ってほしいですね。色々な、女性を上げないのはどうだとか、こうだとか言いますけれども、こういうのはずっと続いてきているわけですから、それは女性も男性も皆で守ってほしいんですよ。相撲協会としては女性を蔑視しているわけでもないし、普通にお相撲さんは女性が好きですから。そういう伝統を守っていくという上で、こういう世界もあっていいんじゃないかなと私は思いますね。

学長 そうですね。本当にありがたいことです。そして、やはり私は思うのは、五感で土俵を、お相撲さんを見て、ああ、いいなと思って。時々、砂かぶりで拝見させていただくんですが、親方に言うのはちょっとやばいのですが、汗とびん付け油の香りがいいですね。親方、今ちょっとびん付けをつけられないんですけれども。 

親方 昔はつけていたんです。まあ、私にも弟子がいるので、普段からにおいをかいでいますので、全然わからないですね。でも、すごく言われますね。肌が綺麗だとか、そういうのを言われますね。ですから、びん付け油をつけておいて、土俵で俵がありますよね。それは五穀豊穣を願っての話ですから、土を盛って、俵を入れてですね。1つ1つが伝統なんですね。こう水をつけるとか、そういう塩をまくとか。そういうことが全部伝統ですので、私たちが次の人の時代に引き継いでいかなければならないという、そういう使命感ですね。単なるスポーツではない。そういうことを思ってやっていますね。

学長 ありがとうございます。またこの後、第二部もございますので、ちょっとこの辺で、とても残念なんですけれども、いいお話をいっぱい聞きましたね。

親方 ありがとうございます。

学長 私のつたない引っ張りであれなんですが、何とか皆様に相撲の素晴らしさ、同時に北勝海関そして八角親方の、保志の時代からのですね、人生観、そして、これから未来の相撲の素晴らしさを感じてもらえたらと思います。第一部を残念ながらここで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

親方 第二部は勢が出るんですよね。これが歌うのは相当うまいです。今日は甚句ですけれども、歌謡曲ですか。そういうのも歌わせても最高ですね。別に私が歌おうとしているわけじゃないですけれども、楽しみにしてください。

学長 なんか二部の司会をやってもらおうかな。

親方 どうもありがとうございました。