6月14日(土)、本学奏楽堂にて、第15回奏楽堂トーク&コンサート「学長と語ろう こんさーと」を開催しました。
各界でご活躍されているゲストをお迎えし、「芸術の力を世界に発信しよう!」という趣旨で始まったコンサートも15回目となり、今回は演出家の蜷川幸雄さんをゲストに迎え、「舞台の醍醐味」をテーマにトークが繰り広げられました。
トークでは、蜷川幸雄さんが演出された舞台の映像がスクリーンに映し出され、蜷川演劇の「舞台の醍醐味」の話題で大いに盛り上がりました。
第二部のコンサートでは、東京藝大シンフォニーオーケストラ(指揮:湯浅卓雄音楽学部教授)によるベートーヴェンの?ピアノ協奏曲第3番?等の演奏が行われ、会場のお客様からのスタンディングオベーションなどもあり、大盛況の内に幕を閉じました。
次回の「学長と語ろう こんさーと」は、2014年10月に、山田法胤さんをゲストにお迎えして開催予定です。
?
トーク〈テーマ:舞台の醍醐味〉?
学長 今日は、なんと世界のマエストロをお迎えいたしました。蜷川さんは新しい舞台のために、役者さん達に厳しい、愛情ある稽古をなさっている合間を縫って、この東京藝大にお越し下さいました。さあ、皆さん、お待ちかねの蜷川さんを、私が作った銅鑼でお迎えしたいと思います。
(銅鑼の音)
ご登場ください。
蜷川幸雄氏(以降、蜷川)登場
(拍手)
学長 ありがとうございます。後ろをご覧になって頂きたいと思います。卒業式で一文字書いているのですが、あまり長い話はしないで、文字を書いて、贈る言葉にしているのです。これは重みのある文字ですね。「女」に「口」そして「心」、「恕」という字です。人々の個性的な言葉で「恕」を書いてみたのですね。
蜷川 いや、素敵ですね。
学長 そうですか。ありがとうございます。さあ、蜷川さん、どうぞお座りください。
蜷川 はい。
学長 本当にお忙しいところ、おいで頂きまして、ありがとうございます。蜷川さんとのひと時、人生観、人となりをお話頂けたら幸いです。
蜷川 はい。
学長 ありがとうございます。ところで、学生の頃へ話を戻させて頂きますが、開成高校をご卒業されたそうですね。
蜷川 はい。
学長 普通、開成高校と言うと、東大を目指す方がほとんどかと思いますが、聞くところによると藝大を?
蜷川 そうなんです。藝大の油絵を受けて落ちたのですが、おかげさまで演出家になれました。
学長 (笑)
蜷川 ですから、きょう藝大の中に入るのはもちろん初めてですし、ドキドキしています。
学長 そうですか。私は運悪く入っちゃったものですからね。さあ、いっぱいお聞きすることがありますので。
蜷川 何を聞くんですか?(笑)
学長 蜷川さんって、あ、蜷川さんっていうこの言い方が僕はどうもひっかかっておりまして。ちょうど私より10年先輩ですよね。できれば、冒頭にも申しましたが、「マエストロ」と呼んでよろしいですか?
蜷川 はい。
学長 では、マエストロ、ちょっとお聞きいたします。私この前、彩の国さいたま芸術劇場で『カリギュラ』の作品を拝見いたしました。一番最近はそれですね。あの若者たちの、あれはもう演技ではないですね。
蜷川 そうですね。非常に勢いがある。日本ではちょっと前から私がやりたかったようなことだったので。
学長 そうですね。舞台と観客席という印象を全く忘れて、私自身があの時代の中に主人公にはなれませんが、脇の中の1人となっているような、同じ呼吸ができるような空気の中にすっぽりと入れさせていただいたんですけど。あの凄さというのは、どこから彼らを動かして行くんでしょうかね。
蜷川 彼らは内面がうかがいにくいんですが、彼らの本音をうまく出せないかなと思って、疎外されているという青春像の主人公を出すと、とんでもなく変わるんですね。普通の演劇だとだめなのですが、そういう、何かから除外されている若者たちを演じると、何とも言えず、しゃべらない、俺の世代のように大らかなコミュニケーションしない、そういうものが全て生きて来るような気がします。
学長 あの大量の言葉ですね。あれは台本と言っていいのか、セリフと言っていいのか、よく分かりませんが。完全に自分の言葉で全身を使ってしゃべっている感じがしたのですが。あそこまで持って行かせるには、でもあの集団ってまだまだ若くて、お年寄りの集団と若い集団と2つ作っていますよね?
蜷川 まず最初に若者たちで年老いた人間もやらなきゃいけないので、そのままで芝居にならないかなと思いまして、全員に顏に袋をかぶせたわけですね。
学長 ほう。
蜷川 袋をかぶせて、老人の稽古もそれでやっていて、良かったら袋を取ってやるっていうふうな、追い詰め方は憎らしいと思いますが、適当に集めて本音を話すと自然に爆発という感じになったらいいなと思ったわけでして。
学長 ああ、そうですか。スタートから台本渡されて配役の役割をお決めになって、本番になるまでは、時間的にはどのくらい?
蜷川 約150時間ですね。ひと月ですね。1日5時間ぐらいでしょう。僕は割と時間をかけると思うんですけれども。
学長 それであの作品ができるんですか?
蜷川 はい。
学長 神様ですね。
蜷川 いや、そんなことないです。こんな素敵な劇場と同じ環境で稽古をしているわけじゃありませんけれども。それでも、ある照明とか、スペースを使いながら、やっぱり実際に使うものと同じつくりのものにして稽古しております。
学長 そうですか。いや、私は一度興味本位ではなくて、一度その空気の中に浸ってみたいという気持ちになりましたね。
蜷川 その空気に浸ると、きっと僕を憎むと思うんですね、みんな。成宮寛貴という俳優さんが『太陽2068』という今度の芝居に出ているのですが、彼とは7年前に一緒に仕事したのですが、その後のインタビューを見ると、「二度と蜷川さんと仕事したくない」って書いてあった。それで成宮君に一応声掛けたら「出る」って。そうしたら、俺に会ったおかげで、うまい俳優になることができましたというふうになるのですが、苦労して、放っぽり出して、もう1回帰って来て一緒に仕事をしていると、それはもう大変でした。僕が地団駄を踏むんですね。成宮君の演技がうまくいかないものですから(地団駄を実際に踏む音)、そうすると、彼は僕を見て、「人間って本当に地団駄踏むんですね」って。
学長 (笑)なるほどね。地団駄を踏むと言うと、なんか子どもがおもちゃ屋の前で買ってくれないとお母さんの前でひっくり返って地団駄を踏んで、あのぐらいしか私は見ていないのですけれども。大人が本当に悔しいって地団駄を踏むというのは、その目の前にある目標が高ければ高いほど、そこに登りたいにも関わらず登れない自分の悔しさみたいなのがあるからなんでしょうかね。
蜷川 そうですね。
学長 その後、今の、(地団駄を実際に踏む音)、この悔しさをみんな味わっているわけですね。ところが、終わった後、それを超えた後はみんな蜷川教のファンになるんです。あれは何でなんでしょうかね?皆さん、今のお話もそうでしたが、ものすごく人間が新しくよみがえった、自分の気づかない新しい自分がそこにあるように変化して、すばらしい作家、すばらしい俳優になって行くというようなことをよくお聞きするんですけど。やっぱりそこに厳しさがあるからなんでしょうかね?
蜷川 どうなんでしょうね。まず僕に憎悪を感じているというのは間違ないと思います。
学長 うん。いいですね。
蜷川 僕自身もそうですし、藤原竜也もそうですし、みんな僕に殺意を持ちながら稽古して、泣いたり、怒ったりしているんです。で、みんなしばらく舞台で泣いているのですが、それがひと月ぐらいの時、ちょっと話戻りますけど、稽古をしていたものですから、隅っこに呼んで「何?」って言ったら、「もう一度、いろんなことがあったけど、蜷川さんと仕事をしたいと思います。仕事をしてください。」って。「よし、分かった。じゃあ一緒にしよう」と言ったんですけど。何ですか、悪い意味で聞かれたのは、健康になってしばらくしたら、悪い病気で熱に浮かされもいいかなと思うようになりますよね。何か少し年の離れた俳優さんの方がナイーブにそういうことを言って、もう1回仕事をしているということですね。
学長 ああ、そうですか。明らかにいわゆる蜷川流というか、マエストロのオーラに巻かれた人、そのオーラのベールを潜り抜けた人は顔つきが変わっていますね。
蜷川 そうですか。
学長 ええ。それは何人も私見ていますけれども。こんなに素敵なのにもう一つ、超えていないなという子はまだ蜷川演出の門を叩いていないことがある。そんな感じもありますよ。
蜷川 僕、人を別に育てようなんて思ってないんですけれども。外国に仕事に行って、あるいは日本で来る外国のカンパニーを見ていてもたいしたことないのですが、長い間悔しんでいまして、そんなに俺の芝居はつまんないのか、ちょっと外国へ行って見て来ようと。ギリシャでギリシャ演劇と、イギリスでシェークスピア。そうしたら、我々の見たことのない演劇を見ることができた。夏のローマのフェスティバルなんですが、炎天下、全員出て表で稽古している。必死にやったその分が、熱量としてちょっと体に残っているのかもしれないですね。
学長 今、ローマのお話がありましたけれども、蜷川さんは現代物ですよね。それから、古典、歌舞伎、それから言ってみれば、シェークスピアもあり。どうして同じ1人の人間が、そんなに幅広くいろんなことが出来るんですか?
蜷川 僕、デパ地下が好きなんですね。すぐ試食にあちこち行って。で、あれも食べたい、これも食べたいって、終戦の時に小学校4年生だったのですが、おいしい物ってカツ丼、天丼、親子丼、うな丼、全部丼物が多いんですね。そういうものをがつがつ、いろんなものを食べるというのは、多分少年時代の舌の記憶がそういうふうに出来ちゃっていて、それが性格にまでなっているんじゃないかと思うんです。
学長 いやいや、そんなことはないでしょうけれども。もう信じられないのですが、2014年は海外公演を含めて、1月に『冬眠する熊に添い寝してごらん』、これ古川さんですよね。2月に『少年少女たちによるカリギュラ』、これアルベール?カミュですよね。3月に『ムサシ』井上ひさしさん、4月に『私を離さないで』でカズオ?イシグロさん、6月には『海辺のカフカ』、これ村上春樹さんですよね。このペースでお仕事なさっているわけですよね。これは……。
蜷川 もういつ死ぬか分からないから、やりたいものは全部やっちゃう。
学長 前のことが重なったりしませんか?
蜷川 そうですね。実はきょうも大阪で『海辺のカフカ』やっているのですが、そして、東京では『太陽2068』の作品を稽古するのですが、本当は大阪にいなきゃいけないんですね。で、出演女優の1人が倒れてしまった。うまく舞台に出られるかどうか分からない。で、病院行ってともかく1幕は無事に済んだんですよ。本当なら大阪行った方がいいんですけど、どうしてもだめだったら、すぐ今夜行くからって言いながら、あっちにいい顔しこっちにいい顔して、それができる体力というのがないとだめなんで、体力もあって、頭もまあ普通に働くうちに早く全部やってしまおうと。焦って、急いでる。
学長 あ、それはね、分かる。もちろん、その数倍も私はレベルが低いところなんですが、分かるような気がします。
蜷川 そうですか。
学長 本当は今そこにある作品を作っているだけが一番良くて、学生と対峙しているだけがいいんですが、気が付いたら学長になってしまって、せっかくだったら、あれもやりたい、これもやりたい、ここを改革したい、絶対に日本一、アジア一、世界一にさせたいと思い、先生方の協力を得ながら、飛び回っているんですけど。何となく分かるような気がしますね。やはり人間の良い意味での葛藤の中における野望みたいなものがあるのかなということを、マエストロのお話で感じましたね。
蜷川 緊張している、作品を観て物を作っている自分の主体的な状況が多分好きなんですが、こういうことを言うと、俳優に叱られるかもしれませんが、おもちゃを作っているみたいなことなので。
学長 おもちゃを?
蜷川 はい。模型というか。それに没入できるんですね。実際は年の割に年取った、自閉している人って自分で言っているのですが、人の中へ行った時には、そこは得意じゃないのですが、演出という役になると、恥ずかしさは一切ない。
学長 私はふと思ったのですが、もし画家になっていたら、どんな画家になっていたでしょうかね?
蜷川 僕、抽象画が嫌いなんです。具体的に、もう具象の画家になっていただろうと思うのですが。今でも絵は見ることは好きで、まだそう皆に知られていない会田誠さんの個展とかですね、そういうのも行って、「ああ、いいな」なんて見て、すぐ対談の相手に会田誠さんに出てって言って、一緒に話してもらったり。
学長 ああ、そうですか。
蜷川 僕もね、デッサンはものすごくうまいんだけど、上手い下手でやるなっておっしゃっていました。複雑な思いがあるのですが。僕は具象画が好きなんです。
学長 そうですね。私はそれはマエストロのお仕事を見ていて、抽象画ではないなというのは感じました。読み通りですね。その場面、その場面を常に新しいキャンバスの中に一筆を置いて、まだ書いていないにも関わらず、この中にもう情景がきちんと浮き上がっている。だからこそ、次の場面の次の場面の次の場面まで行っても、新鮮な、真新しいキャンバスに描き込んで行くという、蜷川流、マエストロ流の作品が出来上がって行くんだなという感じがしましたね。
今日はほとんどがマエストロのファンだと思います。おもしろいなと思ったのですが、海外の受賞がとっても多いですよね。皆さんもそうだと思いますけれども、もう蜷川作品を観た時に、もうその段階でもう完璧にマエストロが持っていきましたね、僕は泣いていましたよ、興奮しちゃって。あれはもう他の国に行っても同じじゃないですか?
蜷川 自分で自慢しているような気がして恥ずかしい。実際自慢しているんだけど。
学長 (笑)いやいや、全然そんなことない。
蜷川 良い作品は心を揺さぶられるようで、まだ東アジアの断崖で、日本人がどれだけギリシャで人気があるのかなと思って、それは現代的なたいしたことのない劇場なんですが、そうしたら、劇評は日出づる国から北ハンガリーにわれわれはギリシャ演劇の何たるかを教わったというのが大半の劇評だった。それで、なぜじゃあこの演劇にあの人達をやらせないのかというので、翌年、もう一度僕らを呼び直してくれたんです。それで、古代劇場でやられたと。そういう意味では非常に厳しいけれども、とてもフェアだなというふうに思いました。
学長 そうですか。私はドイツの留学の経験しかないんですけれども、必ずメディアは書いてくれますね。厳しいことも言うけれども、きちんと見ていることを書いてくれる。それが印象的なのは、私の友人が金曜日の夜に演奏会をやった。だから、土曜日の新聞にきちんとこの部分のこの楽章はとてもすばらしかった。にも関わらず他の部分、というようなこともしっかり評価しているな。日本のメディアって、褒めることしか言わない、けなすことをしない。本当のことを言うのは、やはり厳しく言うことだと私は思うんですね。その人の明日がもっと素晴らしくなるようなことを言う。良い意味でのリーダーシップではないかなと思うんです。やっぱり今のお話にもありましたが、劇場よりも古代劇場、いいですよね。
蜷川 いいですね。あれは初めてギリシャに行って、ギリシャ演劇を見るために見学に行っていた時に、パルテノン神殿の途中の有刺鉄線の内に劇場が見えるんですね。いつかここでやりたいなんて言いながら、そこを通ったものですから。
学長 そうですよね。後にも先にも、そんなにはいらっしゃらないでしょう?
蜷川 そうですね。日本の古典芸能は行っているかもしれませんが。僕らのような演劇というのはない。
学長 そうですよね。やっぱりその国にその国の芸術ありというふうなことで言うならば、ギリシャ悲劇はギリシャの人しかできないのかと言うと、そうじゃなくて、今のお話にあったように、「日出ずる国の」、そこはいいですね。
蜷川 そうですね。そのために日本では評判はあまり良くない。なぜと言うと、ギリシャ演劇見ていなかったからという批判をされていたのですが、逆に言うと、僕が持って行ったものに全く違うから、1つの作品が違う民族の目で見ると、こういうふうに輝くんだと。それから、ビジュアルが美しいって言われましたね。それは目の復権だってずいぶん言っていたのですが、ヨーロッパ演劇は基本的にセリフを重視する論理的な演劇が多いのですが、目で見るようなものをきちんと再構築するんだと。それと劇の内在する論理というものを対等に扱おうというふうに思っていたんですけれど、それは非常に理解してもらえたと思います。
学長 そうですね。やはりね、最初が肝心なんですよ。画家になろうとして、あの思いが未だに残っているんですね。
蜷川 今も絵が好きだったり、そういう興味があるというのは良かったなというふうに思っていますね。
学長 ああ、そうですか。マエストロから見た今の若いうちの学生たちに期待するようなことは何かございますでしょうか。
蜷川 どうぞ先行する人達を批判してください。でも、良かったら一緒に仕事をしてくださいというのがあって。僕はそういう人達と一緒に仕事したりしますけれども、先行する世代を踏み潰しながら、すばらしい作品を残してくれというふうに思っています。
学長 今ですね、いわゆるマエストロの後を継ぎたいということ、それからマエストロの舞台の中にいつかは、同じ中に、空間で、自分も役者でいたいというふうな子たちもいっぱい来ております。そういう子たちにはいかがでしょうか。今後、どんな勉強をしたらいいとか、難しいですね。
蜷川 僕、独断で批判ばっかりしていますが、ヨーロッパ演劇はものすごく見たり、勉強したんですけれども。最終的には違うなと思いながら、自分の世界を信じてどんどんやって、勉強し過ぎないようにして頂きたいなと。つまり、論理的な根拠、理性的な根拠がない限り、曖昧なそういうことというのは許せない。そうすると、やせ細った作品の骨ばっかりが出て来て、それは高い人気が出るのは当然だと思うんですけれども、そういうことで言うと、半分崇拝するけれども、半分は否定するということ。
学長 なるほど。分かる。
蜷川 どうぞ僕は日本の、ですからアジアの記憶と交差できる作品を作りたいと思って、僕がやっている表現のビジュアルのやり方というのは、日本の観客が見た時に何か自分たちの生い立ちや過去の記憶と交差するビジュアルを考えている。ですから、いろんなことをものすごく勉強しつつ、否定して、そんなの分かっているでしょうけど、先行する世代の言うことは聞かないということをぜひお勧めします。
学長 (笑)分かりました。ありがとうございます。
(拍手)
蜷川 本当に、人生の最後に輝いたという、そういう舞台が割と連続しているので、ぜひ早く劇場に……。いつ終わりが来るか分からないので、ぜひご覧になってください。
学長 実は最後にそれを私から言って終わりにしようと思っていました。(笑)役者のせりふが真逆ですね。皆様、ぜひおいで頂く時には、ご友人、ご親族を誘って、おいで頂きたい。ということで、きょうの蜷川幸雄さんが藝大に来ていただいて、すばらしいお話を頂戴したということで、これにて終わりとさせて頂きます。ありがとうございました。
蜷川 ありがとうございました。
(拍手)